TENGA VOICE
#75
Takato Yonemoto/米本 学仁 俳優
TENGAのイメージは、初乗りタクシーですかね(笑)
今回のゲストは、アメリカ・ロサンゼルスを拠点に活躍されている俳優のTakato Yonemoto(米本 学仁)さんです。映画のプロデューサーになるために渡米したTakatoさんですが、スーパーマーケットのフードコートで、ラーメンを食べている時にスカウトされたことがきっかけで、ハリウッド映画デビューしたという凄いシンデレラストーリー(男性ですが…笑。)の持ち主です。 そんなTakatoさんにハリウッドデビューの経緯や今後の活動、TENGAについても熱く語っていただきました!
映画のプロデューサーを目指そうと思ったきっかけは?
「2006年のとある夏の日、テレビを見ていたら不意にとっても悲しいニュースが流れていて、1か月くらい落ち込んで、なんでそんなことが起こるんだろう、自分に何ができるんだろう?って考え続けたんです。それで自分なりに捻り出した答えが、思いやりと想像力だったんです。自分にそれらを教えてくれた大きな存在が映画だったから、映画を作りたいと思うようになったのがきっかけです。いざ映画を作るって言っても実際に何をしたらいいかわからなかったんですが、世界中にいる大好きな監督の方々のお手伝いをしたいと思って、どんな仕事かわからなかったけど監督を手伝って製作するのがプロデューサーという仕事らしいと知って飛び込んだのが始まりです。それで世界中の監督とコミュニケーションを取るなら英語だろう、映画といえばハリウッドだろう、というとっても単純な発想でアメリカに飛び込みました。いざ行くと決めたら、数日後には手続きを開始していましたね。」
俳優デビューのきっかけは?
「渡米してからプロデューサーになるために、監督のアシスタントやプロダクションでロケーションのコーディネーターをしていた時期があったんですけど、その時期に丁度なかやまきんに君さんがLAに留学していて、ライブ公演をしたんです。それを手伝っていてイベント後に、なかやまさんがご馳走してくださるとのことで、連れて行っていただいたところがスーパーマーケットの中にあるラーメン屋で。
そこでラーメンを食べている時に、知らないおじさんに突然話しかけられてスカウトされたのがきっかけです。そのおじさんとの出会いから3週間後には『47RONIN(読み:フォーティーセブン・ローニン)』という映画に出ることになったんで、なかやまさんがあの時ラーメンを御馳走するって言ってくれていなければ…
なので今でもラーメンとなかやまさんには頭が上がらないんです。」
アメリカでいきなり活動するのって勇気がいると思うんですが、ご不安はありましたか?
「一切なかったです。只々どーんと飛び込みました。好奇心旺盛なので、知らないことは不安というよりワクワクさせてくれます。僕の実寸サイズ(アメリカサイズで4XL)だけじゃなくて、基本的にケツも重い方なんで動き出すまでが遅いんですが、ただ動き出したらもう止まらないって感じですね。映画の撮影も人生初の演技経験でしたが、たくさんの先輩がいる中でも、緊張はしなかったです。優しく暖かく迎え入れてくださったのも勿論あるんですけど、周りの方に学びながらあるがままを受け入れて、日々自分の変化に気が付きながら、精一杯やるだけでした。」
このサクセスストーリーは想像できましたか?
「全くしてなかったです。『なるようになる』精神なので。思ってもないことが起こるから人生やめられないです。自分はラッキーなんだと思います。でもそのラッキーに対してシャイになったりモジモジしていないで、せっかくだからそのラッキーをこれからも目一杯使って突き抜けていきたいです。」
初出演映画の『47RONIN』で、世界的に有名な俳優キアヌ・リーヴスに看取られて最期を迎える、という大役でしたが、どんな気持ちで役に挑みましたか?
「基本的にみんなそうだと思うんですけど、死ぬってことを体験したことがないじゃないですか。だから逆の考えで、まずは生きるっていうことはどういうことなんだろうって向き合ってみました。朝早くにRONINの仲間たちと一緒にスタジオに向かうバンの中で、揺られながら朝日を横目に見る。一日中撮影や殺陣の稽古や乗馬の練習をして、また夕陽に揺られて帰る。夜は仲間たちと食事や酒を交わして笑ったり、時には涙したり。その日その日を一所懸命に生きて命を全うしていく。そういう当たり前なことだけど大切なことをして撮影を重ねていくこと、そしてそれまでに出会えた人たちとのかけがえのない時間と思い出もまた、自分の演じた芭蕉という役に命を吹き込んでくれたのかなと思います。」
役者をやっててよかったって思う瞬間はどんな時ですか?
「貴重な体験ができることですね。『47RONIN』で自分がセットに出て、最初に撮影したシーンがキアヌ・リーヴス、真田 広之さんや浪人の仲間たちに見守られながら死んでいくシーンだったんですけど、角度などを変えて何度も死ぬ瞬間を体験できました。10回以上は撮って、死にましたね。役者として何度も死んだり、既に亡くなっていて会えないはずの人に会えたり出来るのって凄いことだとつくづく思いますね。あと、真田さんと初めて顔合わせした時に、『俺が思ってた通りの芭蕉だ。絶対に痩せちゃダメだよ』と仰られ、優しく迎え入れてくださったのも嬉しかったですね。」
今後の目標は?日本での活動もある?
「これから日本でもどんどん活動していきたいと思っています。日本から離れているからこそ、家族や大切な人たちに直接届くことの有り難さも実感しました。去年メキシコの映画に出演させていただいたんですが、これからも世界中のクリエイターの方々に、自分という素材『4XLサイズのTakato』で遊んでもらいたいですね。日本にも素晴らしいクリエイターが沢山いるので、新しい作品もこれから作っていけたら嬉しいです。時間と場所を越える作品を世界へ届けていきたいです!」
そんなTakatoさんはTENGA愛好家ということですが、TENGAを知ったきっかけは?
「知り合いの監督さんからTENGAカップをもらった事がきっかけです。でもその時は知識が今よりも乏しくて…上のシールを剥がして圧を調節できる事もよく知らないで使用してしまって、うまく使えなかったんです。きっと前のめりになりすぎたんでしょうね(笑)。
そのあと少し経ってから、ハリウッドで開催されたとある音楽ライブでTENGAで働いてるという女性に出会って、彼女と話していたらポケットTENGAをくれたんですよ。くれたと言うより、僕からの熱烈アピールでしたね。ライブから帰宅して早速その晩に2回戦しました。その夜から自分の事を、アンバサダーにTENGAをかけて、『TENGASSADOR(読み:テンガサダー)』と勝手に名乗っています。」
TENGAのイメージを一言で言うと?
「初乗りタクシーですかね(笑)。
自らの足で(手で)射精という目的地へ向かうのが一般的なオナニーだと思うんですが、それをたまの贅沢というか、自分で歩いて行けるのにわざわざ1メーターの初乗りに乗っちゃうみたいな、贅沢しちゃう高揚感と背徳感がTENGAにはありますよね。タクシーに例えちゃいますけど、だから自らの勘と経験を信じるもよし、ナビに頼るもよし、勿論運転手さんにお任せするもよし。色んなタクシー(TENGA商品)を提供してくれているのも有り難いと思います。」
お気に入りのTENGAは?
「ポケットテンガですね。知人を通して知り合ったTENGA USAのスタッフの方からプロモサンプルでいただいたんですが、その日帰ってさっそく使わせていただきました。2つも。(笑)
使用したときの、あの初恋のような甘酸っぱさと衝撃が忘れられないです(笑)。あの薄さとコンパクトサイズだからどこにでも連れていける。どこでどんな自分でいても、胸ポケットにそっと潜めておける淡い想い出みたいです。」
ずばり、自分の最期に使いたい最期の晩餐ならぬ、“最期のTENGA”は!?
「忘れがたき初恋の淡い想いのポケットTENGA。でもFLIP ZEROも捨てがたいですね…」
さすが自称テンガサダーですね!!
「もちろんです(笑)。
FLIP ZEROは初恋というよりも、長く連れ添った糟糠(そうこう)の妻のような。何度も愛し合ってきて、病める時も健やかなる時も寄り添ってくれた、愛妻フリップゼロ子と最期を過ごしたいですね。本当は最期だから使用後洗わなくても良いじゃないですか。だけど、それでも使用後いつものように洗ってあげて最期を迎えたいですね。妻ゼロ子への感謝を込めて。でも正直最期を迎えるときに自分のものが勃っているだけで、男としては本望ですけどね。」
最後に、Takatoファン、TENGAファンに一言お願いします!
「これからもどんどんこの4XLのボディを使って突き進んでいきます。みなさんありがとう!人生ありがとう!TENGAも時々ありがとう!」
※こちらの記事は2018年7月掲載となります