TENGA VOICE

菊池 真琴

#101

菊池 真琴 女子プロボクサー

1回私の試合見に来なよ。
ボクシングは男のものとか、そんな概念変わるから。

今回のゲストは女子プロボクサーの菊池真琴さん。
29歳で剣道からボクシングに転向。第8代OPBF東洋太平洋女子バンタム級チャンピオン、第4代OPBF東洋太平洋女子スーパーバンタム級チャンピオンと輝かしい成績を残し、プロの第一線で活躍されています。今期からは株式会社TENGAがオフィシャルスポンサーに加わりました。
このインタビューでは菊池選手の異端児ともいえるプロボクサーとしての人生を語っていただきました。

ボクシングを始められたきっかけはなんですか?

ボクシングを始めたのは29歳の時で、他の選手と比べるとかなり遅めのスタートなんです。
それまでは幼少期から続けていた剣道で日本一を目指してきました。
大学を卒業した後も剣道を続けていたのですが、主要大会では一位になれず、そのことがどこか劣等感としてつきまとっていました。

このもやもやを抱えたままでいた29歳のとき、ちょうどリオデジャネイロオリンピック(2016年)が開催されていたんです。

剣道はオリンピック競技にはないので、そこまで注目していなかったんですが、改めてオリンピックという祭典を見たときに、こんなに多くの人に感動を与えていることに強く心を動かされました。

次回開催が、2020年東京。「オリンピックに私も出たい」その気持ちが抑えられず、今からでも代表入りが狙える競技を探し、ボクシングを見つけました。
その日のうちにジムの門を叩き、ボクシング人生がはじまりました。

剣道からボクシングへの転身、難しさはなかったですか?

ボクシングって剣道と間合いが全然違うんですよね。
剣道はお互いの竹刀の分だけ相手と距離があるんですが、ボクシングの間合いって拳数個分なので、剣道だと打突できない、死んでる間合いなんですよ。

剣道の間合いに慣れていた私にとって、ボクシングの距離感は普通の人以上に慣れるのに時間がかかり、苦戦しましたね。

また、剣道は防具で守られているんですが、ボクシングは相手の体に直接攻撃をするので、単純に痛いし、なんてことすんだ!って気持ちでしたね。

東京オリンピックへの道のりはどのようなものでしたでしょうか?

ボクシングを初めて2年半後に、全日本女子ボクシング選手権ウェルター級で優勝。翌年には東京オリンピックの強化指定選手に選出していただき、アジア選手権にも出場しました。

オリンピック出場という夢に着実に近づいていましたが、2020東京五輪国内最終選考の全日本選手権で敗れ、オリンピックへの道は閉ざされました。
夢が叶わず、ボクシングを引退することも考えました。

 

でもその時、応援してくれる仲間がたくさんいて、かけがえのない大きな財産を得ていることに気づいたんです。
ボクシングを始めた当時は29歳という年齢もあって、応援してくれる人は家族を含めて、ひとりもいなかったんですよね。

 

「せっかくこんなに応援してくれる人がいるのに、このまま終わっていいのかな。もっと大きな勝負に出た方がワクワクするな」って考えになったんですよね。

 

そこで引退ではなくプロ転向を決断し、2020年からはプロボクサーとして世界を目指すことにしました。

プロボクサーとしての目標は何ですか?

プロボクサーとして世界チャンピオンを目指すだけでなく、女子ボクシング界を盛り上げて、プロボクサーの地位を底上げをしたいって思っています。

日本のファイトマネーは海外と違ってめちゃくちゃ低いので、女子プロボクサーとして生活ができている人って、ほんの一握りなんですよね。

ボクシング界を盛り上げて、ボクシングだけで食っていける人をたくさん作りたい。
そのために、より多くの人、より多くの企業の方に、女子プロボクシングのおもしろさ、凄さを知っていただく必要があると思ったんです。

 

だから私はプロデビューしてから一度も副業をせずに、さまざまな企業にラブレターを送って、スポンサー集めに注力しました。通算1000通は超えてると思いますね。

 

30歳を超えてプロデビューして、最初からボクシングだけで食ってるって、他のプロボクサーの刺激にもなると思ったんです。
私ができたんだから、君らもできるよって。そういう姿を見せて、伝えたいなって。

スポンサー集めは実際どうでしたか?

プロデビュー後からスポンサードしてくれる企業が徐々に見つかってきた矢先、新型コロナウイルスが流行したんですよ。大会も軒並み中止になり、練習もできなくなって。
結果、スポンサーも0になり、無収入になりました。

 

でもこの状況下でも「副業で食ってます」とは言いたくなくて。
だから私は一度プロボクサーとしての活動を完全に休止し、一切のトレーニングを行わずに、水道屋で働き始めました。
1日家にいる時間が3時間ぐらいで、それ以外はずっと働いていて、気づけば1年が経っていましたね。

 

勤めていた水道屋は全国チェーンのお店だったのですが、入社3ヶ月ぐらいで営業成績が全国トップになりました。
これもいい機会だと思い、社長に「コロナが終息したら競技に戻りたい、その時にはスポンサーについてほしい」と直談判しました。
二つ返事で快諾いただき、水道屋のスポンサーを引き連れて2021年4月現役に戻ることができました。

どうして、TENGAにスポンサーオファーをしてくださったのでしょうか?

現役復帰した後も、さまざまな企業をリサーチしてお声掛けさせていただいていたんですよね。そのうちの1社がTENGAさんだったんです。

 

TENGAっていつ知ったかわからないぐらい、気づいたら身近なところにあって。
どんな企業なんだろうって調べていたら、社長の創業秘話を見かけたんです。
「性の概念を変える。性は後ろめたいものでも、恥ずかしいものでもない」って世の中に伝えているメッセージ、姿勢に感銘を受けました。

 

女子ボクシングもよく「男と比べてどうせレベル低いんでしょ」「女が殴り合うとか誰が見たいの」なんて言われることがあって。
女がやってるってだけで競技を甘く見られるし、正しく伝わっていないって感じるんです。

 

そういうこと言ってくる人には「1回私の試合を見に来てよ」って返すようにしてるんですよね。実際に見れば、女がどうとか、レベルがどうとかそんな概念なくなると思ってるから。

なかには本当に見に来てくれたおっちゃんもいて、「勝ちたい人間同士が殴り合っている、これがボクシングだよな。男も女も関係なかったわ」って言ってファンになってくれるということもありました。

 

だから概念を変える、情熱を持って理念を伝えるという松本社長の姿勢が心に響いて、ぜひお話だけでもさせていただきたいって思ったんです。

実際にTENGA代表の松本と会ってみてどうでしたか?

TENGA創業秘話を知ったあと、松本社長に直筆のお手紙をお送りさせていただきました。
大体の企業さんは返事がないんです。そりゃいきなり送られてきても困りますよね。

 

でも松本社長は、丁寧にメールでお返事をくださったんです。
スポンサー契約のことは置いておいて、お返事をいただけたということが何よりも嬉しくて。
そこから松本社長と数年にわたって直接やりとりをさせていただいて、実際に試合も見に来ていただきました。

 

TENGA本社にもお招きいただいて、私のこれまでの競技生活をお話させていただいたり、社長の創業からこれまでの活動を伺ったり、じっくりお話させていただきました。
お互いに共感することや、胸に響く話が多かったこともあってか、社長が涙目になられてたことを鮮明に覚えています。

 

女子ボクシングという競技も、選手としての知名度もまだまだ低い状態で、スポンサードを決断してくださったときは感謝の気持ちでいっぱいでした。

最後に、今後の展望を教えていただけますでしょうか。

まずはプロボクサーとして、世界チャンピオンになります。
そして私自身が女子プロボクサーのロールモデルとなれるよう、女子ボクシング界を盛り上げられるよう、精力的に活動していきます。
このTENGAのロゴに負けないよう、結果を追い求めなきゃなって身が引き締まる想いです。

菊池 真琴

菊池 真琴 女子プロボクサー

女子プロボクサー。
第8代OPBF東洋太平洋女子バンタム級チャンピオン。
第4代OPBF東洋太平洋女子スーパーバンタム級チャンピオン。

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